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廃兵院工房

おふらんすなど

ジャップがアクションフランセーズの通販を利用した件について

 アクションフランセーズをご存知か。このページを読まれている方も歴史教科書で習っただろう、あのドレフィス事件を機に発足した組織である。仏現代史をほんの少しかじった人間としてはまぁ存在自体は知っていたのだが、昨年何気なくツイッターを開いていると、アクションフランセーズの公式アカウントを発見してしまった。それもフォロワー数が7000を超えているなかなかの大手アカウントである。すぐフォローしてウォッチを開始した。

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ツイッターアカウント)

 この組織の面白い点といえば、まず今のフランスでは相当珍しいだろう王政復古を主張していることだろう。ルイに繋がる名跡のブルボン家やコルシカ出身のボナパルトさんではなく、オルレアン家の家長を現正統な王として掲げている。同組織が発足した100年前でも王政復古は無理があると反発があったというのに、この現代に「国王陛下万歳」と真顔で唱えているのだ。面白いとしか言いようがない。

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オルレアン家現家長にしてパリ伯アンリ7世)

 調べてみると数十人でドラムを叩きながら、国王万歳と唱えつつパリ市内を行進する動画をYoutubeで発見した。構成員は我々が脳裏に浮かべるようなネオナチ崩れのスキンヘッド集団ではなく、年端もいかぬ少年少女から足取りのおぼつかない老人までいる。日本の極右団体に比べて、何気に年齢・性別が豊かであった。

 さて、アクションフランセーズをウォッチしている内に、同団体のグッズを通販で購入できることを知った。旗、Tシャツ、バッジ、ネクタイにZIPPOとなかなか種類豊富。加えてセンスが良い。同じく極右と目されるフランス国民戦線に比べて、グッズの質の点では、間違いなくアクションフランセーズが勝っていると感じた。

 となれば欲しくなるのがウォッチャーである。日本発送の可否を尋ねると、いくら待っても返信がない。仕方がないので代行業者を利用することにして注文発送を終えると、宛名を間違えるという大ポカをしてしまった。これについては完全に私が悪い。だが、いくら宛名の訂正依頼メールを出しても全く返信をしない、というのは無愛想極まるのではないか。おじさんは憤慨した。代行業者氏も困惑した。ジャップ相手だから舐めているのではないかとも疑った。

 とはいえ着くには着いたのである。配達会社のお兄さんと代行業者氏が奮闘してくれたらしい。日本に到着したのは、ちょうど昨日(2017/3/11)のことだった。嬉々として開封する。すると注文した9点の内の2品が欠けていることに気付いた(フルールドリスのネクタイピンとフルールドリスのバッジが失われてしまった)。……まぁ損失額は20ユーロぐらいだから、もう一々やり取りするのが面倒極まりないし、連絡しなくて良いかなぁという気になっている。この20ユーロは日本人からフランス王党派への寄付である。ぜひ王政復古を成就してほしい。極東の島国から祈っています。あっ、その前に取り合えず顧客対応を改善してください。本当に星1を連打したかった。

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(ネクタイとバッジが届きました)

 ところでアクションフランセーズにとって参考にすべき「王制国家」の一つとして、機関紙の中で日本が具体的に示唆されている。国民戦線のルペン党首(娘さんの方でなく親父さんの方)が訪日した際、一水会と共に靖国神社を参拝した話は割と有名だけれど、フランス極右連中の理想像が日本というのは面白いところではないだろうか。

モーリス・ガムランの回想録を追い求めて

フランス関係

第二次世界大戦で仏軍の総司令官を務めたモーリス・ガムラン(Maurice Gamelin)の名前は、一応本邦でも知られている。あまり良い評価ではないけれど。彼の名前がネットで引っ掛かるようになったキッカケは、やはりHeart of Iron辺りなんだろうか。どうも彼への評は手厳しい、というか怪しい文献をもとに語っているような感が否めない。ナポレオン一世が率いた時代と違って、1940年の戦争は彼一人で軍隊を動かせるものではなかったことを考慮して、もう少し真っ当な評をしてやりたいものとは個人的に思う。

さておき。敗戦の責任をとって軍籍を退いたガムランは、ヴィシー政権が成立すると「戦争への備えを怠った」という罪状で逮捕される。有名なリオム裁判の後に、彼は各地の収容所を転々とし、最終的に旧オーストリア(当時はドイツ領オストマルク)の北チロルに位置するイッター城に収容された。終戦直前には、武装親衛隊によって抹殺されかけるも、米軍と独国防軍の小部隊と共に抵抗してこれを撃退、無事祖国フランスへ凱旋する。そしてパリの自宅で引退生活を送ることになった彼は、回想録の執筆に挑んだ。これが全3巻で構成されるplon社発行の「Servir」である。

一昨年頃から読みたいと思って探していたものの、先日ある事実に気付いた。どうも仏語以外に伊語訳しか見当たらない。あまり本国での売れ行きが芳しくなかったためか、英訳版が出版されていない様子なのだ。ということで勿論、日本語訳もない。

……つい昨日まで私はそう考えていた。しかし事実は違った。ツイッターで「ガムランの自伝が読みたい、誰か訳してくれ」と意味もない愚痴を呟いていると、見知らぬ御仁が引用RTで「『フランス解放戦争史(著、柏木明)』の参考文献に、陸自が訳したガムランの自伝が載っていた」と知らせてくれたのである。まさか、と思って図書館へ走ってページを捲ると、確かに自衛隊幕僚監部の訳本として「Gamelin将軍回想録」なるものが挙げられている。「Servir」の訳本に違いあるまい。

しかし一般にはもちろん出回っていない。であるならば、と防衛省図書館に電話をかけて内部検索していただいたものの、申し訳なさそうに「検索に出ないですね、申し訳ない」と謝られてしまう。いったいどこにいったんだ。万事休す。コツコツ古本検索していくかと諦め顔をしていると、またツイッターに助けられた。相互フォローの某人曰く、靖国偕行文庫にあるとのこと。慌てて偕行文庫のHPで内部検索すると、確かにヒットした。「Gamelin将軍回想録・戦争の序曲時代 1930-1939.8」なるタイトルである。ようやく、ようやく拝める日が来るとは。明日早速靖国へ出かけようと思う。ということで各位、ガムランの回想録の訳本は靖国にあるぞ。一般も閲覧可だという。

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蔵書

以下は趣味で蒐集しているフランス史関係の書籍。本当は分類分けしようとしたものの、億劫になってしまった。勿論全部読みこんだわけもなく、積んでいるものも多い。積んだ本は良い味を出すんですよ。

 

『連合軍反撃せよ』J・H・モルダック

『剣の刃』シャルル・ド・ゴール

『職業軍の建設を』シャルル・ド・ゴール

『人間から人間へ』レオン・ブルム

『ドゴール大戦回顧録(1,4)』シャルル・ド・ゴール

『回顧録-侍従長の昭和史-』三谷隆信

「In The Thick Of The Fight」Paul Reynaud

「Prison Journal 1940-1945」Edouard Daladier

「Carnets de Captivite」Paul Reynaud

「Souvenirs Personnels」Marie-Agnes Cailliau de Gaulle

 

『ナポレオン大いに語る』フリードリヒ・ジーブルク

『怪帝ナポレオン三世鹿島茂

『リヨテ元帥伝』アンドレ・モーロワ

『ドレフィス家の一世紀』平野新介

『ジャン・ジョレス 1859-正義と平和を求めたフランスの社会主義者-』ヴァンサン・デュクレール

『大いなる失墜-蘇る悲劇の人ペタン元帥-』ジェール・ロワ

『ペタンはフランスを救ったのである』ジャック・イゾルニ

パリは燃えているか?(上,下)』ラピエール,コリンズ

『ドゴール-偉大さへの意思-』世界史リブレット 096

『ドゴール』アレクサンダー・ワース

ド・ゴール』P・M・ド・ラ・ゴルス

『臣下の大戦』足立邦夫

『現代史を支配する病人たち』P・アコス

「Petain」Bruce

「Petain's Crime」Paul Webster

「Petain」Benedicte Vergez-Chaignon

「Petain」Charles Williams

「Phillipe Petain」Andre Figueras

「Jean Borotra,the bounding Basque」John George Smyth

 

『近代フランスの歴史』谷川稔,渡部和行

『フランス現代史』渡邊啓貴

フランス史10講』柴田三千雄

フランス史(上,下)』アンドレ・モーロワ

フランス史研究入門』佐藤彰一

アンシャン・レジーム』ウィリアム・ドイル

『八月の砲声(上,下)』バーバラ・W・タックマン

戦間期国際政治史』斎藤孝

戦間期の思想家たち-レヴィ=ストロースブルトンバタイユ-』桜井哲夫

『フランス戦間期経済史研究』原輝史

『欧州の国際関係-フランス外交の死角から-』大井孝

『フランス第三共和制の興亡(1,2)』W.シャイラー

『フランス人とスペイン内戦』渡辺和行

 

『パリ、戦時下の風景』大崎正二

『奇妙な敗北-一九四〇年の証言-』マルク・ブロック

『脱出-1940夏・パリ-』ハンナ・ダイアモンド

『私は弾劾する』アンドレ・シモーヌ

『フランス敗れたり』アンドレ・モーロワ

『フランス再建』井出浅亀

『フランス・その後』井上勇

『欧州の七不思議』ジェール・ロマン

『現代フランス論』町田梓棲

マジノ線物語-フランス興亡100年-』栗栖弘臣

『西方電撃戦-フランス侵攻1940-』ジャン・ポール・パリュ

電撃戦という幻(上,下)』カール=ハインツ・フリーザ

『WW2 フランス軍用機入門』飯山幸伸

『第二次大戦のフランス軍艦』世界の艦船1985 No.346

『第二次大戦のフランス軍戦闘機エース』バリー・ケトリー

 

『ナチ占領下のフランス-沈黙・抵抗・協力-』渡辺和行

『ナチ占領下のパリ』長谷川公昭

ナチス・ドイツとフランス右翼-パリの週刊紙「ジュ・スイ・パルトゥ」によるコラボラシオン-』南祐三

『記憶の中のファシズム-「火の十字団」とフランス現代史-』剣持久木

『奇妙な廃墟フランスにおける反近代主義の系譜とコラボトゥール-』福田和也

『ヴィシー政府と「国民革命」』川上勉

『ヴィシー時代のフランス-対独協力と国民革命-』ロバート・O・パクストン

『近代フランスの自由とナショナリズム』中谷猛

『フランス・イデオロギー』ベルナール=アンリ・レヴィ

『フランスにおけるファシズムの形成-ブーランジスムからフェソーまで-』深澤民司

『現代フランス政治過程の研究』岩木勲

『フランス・ナショナリズム史(1,2)』木下半治

『フランスファシズムの生成-人民戦線とドリオ運動-』D・ヴォルフ

 

『筆と刀-日本の中のもうひとつのフランス(1872-1960)-』クリスチャン・ポラック

『百合と巨筒』クリスチャン・ポラック

『繭と鋼』クリスチャン・ポラック

『陸軍創設史-フランス軍事顧問団の影-』藤原宏

 

『ジャーニュとヴァンヴォ-第一次大戦 西アフリカ植民地兵起用をめぐる二人のフランス人-』小川了

『アフリカを活用する-フランス植民地からみた第一次世界大戦-』平野千果子

 

『エトランジェのフランス史-国民・移民・外国人-』渡辺和行

『共和国か宗教か、それとも-十九世紀フランスの光と闇-』宇野重規

政教分離を問いなおす-EUとムスリムのはざまで-』ルネ・レモン

『自由に生きる-フランスを揺らがすムスリムの女たち-』ルーブナ・メリアンヌ

『シャルリとは誰か?-人種差別と没落する西欧-』エマニュエル・トッド

『移民の時代-フランス人口学者の視点-』フランソワ・エラン

『シャルリ・エブド事件を考える』鹿島茂,関口涼子,堀茂樹

『現代フランスの病理解剖』長部重康

フランス革命省察-「保守主義の父」かく語りき-』エドマンド・バーク

外人部隊日本兵-たった一人の挑戦-』宮下洋一

[ユー島(Île d'Yeu)]フランス・ミリタリー旅行記

旅行

第一次大戦における救国の英雄であり、第二次大戦における売国奴でもある、アンリ・フィリップ・ペタン。そんな彼の墓は、大西洋上の小さな島、ユー島にある。

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島への到達手段は2つある。フェリーかヘリだが、一般的な観光客は皆前者を選ぶだろう。船賃は往復で30ユーロ程だったと記憶している。パリから随分と離れた為だろうか。ユー島への観光客は白人ばかりだった。

島北側の港、ポール・ジョワンヴィル(Port Joinville)へ上陸。ホテルに荷物を預け、WIFIを通じて島内の墓地を確認する。幸いにしてペタンの墓があるジョワンヴィル墓地(Cimetiere de Port Joinville)は、ホテルから近かった。徒歩でテクテクと向かう。島内の建物はどれも白で塗りつぶされている。観光案内によると、家々は統一的な外見を保つよう定められているらしい。

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墓地に着くと、墓守の老人に声を掛けられる。

「おい、ペタンか」

「そう、元帥を探している」

「ペタンはあっちだよ」

恐らく観光客がペタンの墓を詣でるのは珍しくないのだろうなぁと感じつつ、墓守に礼を言う。ペタンの墓は、植木で覆われる様にして配置されていた。比較的新しく花がそえられていた様で、墓石も状態が良い。昔、多摩霊園に山本五十六の墓を覗きに行ったことがあるが、山本の隣にあった古賀峯一の墓は相当に荒んでいたと記憶している。他の偉人達に比べて、ペタンは良い待遇を受けている方だろう。

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ユー島住民にとって、ペタンの存在は長年面倒以外の何物でもなかったはずだ。ADMPなどの極右連中が参詣を目的に毎年島へ押し寄せていたし、それに反発するユダヤ人の一団がデモを実施した時期もあった。幸か不幸か、年々と名誉回復運動の勢いは衰えつつある。運動を支えていた老人連中から若者達への代替わりに伴い、その規模も縮小化している様だ。彼等が運営していたHPも、最近ドメインが切れていることを確認した。極右ウォッチャーとしては寂しい限り。

さて。この島には、ペタンの墓以外にも見所はある。暫し一人で海水浴を楽しみ、翌日ピエール・ルヴェ要塞(Le Fort de Pierre Levée)に向かう。ペタンは存命中、この要塞に収監されていた。読書や散歩を楽しんでいた様子が、写真に残されている。残念ながら、観光対象としては展示物が少ないのでお薦めし辛い。期待していたペタンの居住区は現在封鎖されており、観光関係者の寝泊まりの場になっている様子であった。どうせなら公開して貰いたいもの。 

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島北部の市街地に戻る。目当ての大半は行き尽くしたものの、一つだけ心残りの場所があった。その名は「ユー島歴史博物館」。かねがねウォッチしていた極右連中が、ユー島探訪時にペタンの蝋人形やらペタンの遺品が収蔵された部屋の写真をアップしていたのだが、この時点では未だにその場所が掴めていなかった。要塞跡にもそういう展示施設はなかったので、残るはこの「ユー島歴史博物館」しか思い当るところがないのだが、一向に戸が開く様子がない。埒が明かず観光案内所の女性に尋ねても、苦虫を噛み潰した様な表情で「歴史博物館は市が関与しているものではないから難しいですね……魚類博物館のスタッフに連絡すると開くかもしれないですよ」と謎の返答である。言われるがままに魚類博物館へ足を運ぶと、そこも閉館されている始末。諦めて本土に帰ろうかと途方に暮れていると、魚類博物館から一人の老婦人が現れた。これ幸いと拙いフランス語で事情を説明すると、「付いてきなさい」との力強い返事。紆余曲折あり、ようやく歴史博物館の戸が開いた瞬間であった。 

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「ユー島歴史博物館」の中身は、想像以上のものであった。まず初めにユー島に人類が到達した経緯を示す展示があり―――それを越えると、すぐさま凛々しいペタンの蝋人形が出現する。さらに部屋を抜けると、件の極右連中が撮影していた遺品展示室に到着した。室内スピーカーからは、男性のたどたどしい演説が繰り返し流れされている。演説の内容は、ペタンはドゴールと共にフランスを救ったのだという典型的な擁護論のそれであった。演説者は恐らくADMPの関係者だろう。なにせ遺品展示室の片隅で、破損した「ADMP」のネームプレートを発見したのである。この歴史博物館自体、かつて彼等の根拠地であったに違いない。

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その正体が眉を潜めるものであったにしても、展示物自体はウォッチャー泣かせの貴重な数々であった。ペタンが死去して半世紀以上経つが、遺品展示室は時が止まっているかのような印象を受ける。今回の旅行を通して、二番目に胸が高鳴った瞬間であった。もしユー島を訪れる方がいらっしゃれば、ぜひ「ユー島歴史博物館」の来訪をお薦めしたい。運さえ良ければ、きっと開いているはずだろうから。

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「リボンの武者」に見る〝和解〟

※ネタバレ含むので5巻を読んでね

 

いわゆるガルパンのスピンオフ作品「リボンの武者」には、フランスを模した高校が登場する。その名も自由BC学園。もともと自由学園とBC高校の2校が存在し、それらが統合された結果として自由BC学園が成立するのだが、未だに旧自由派・旧BC派間に遺恨が残っているという設定である。どう見ても自由フランス運動とヴィシー政権を準えているのだけれど、登場人物もまたネタに走っている。

自由派の「アスパラガス」というケピ帽を被った金髪少女が、自由BC学園戦車道部の隊長。自由フランス運動を率いたシャルル・ドゴールの渾名がその風貌からアスパラガスであったことと、偶然の一致ではあるまい。またアスパラガスと反目し合っているBC派の黒髪目隠れ少女は「ボルドー」なる名前。第二次大戦中フランス政府がボルドーに臨時首都を置き、ヴィシー政権誕生のキッカケとなるペタン内閣の組閣がこの地で行われたことを考えると、これまたある種のネタではないかと疑ってしまう。

「リボンの武者」5巻で自由BC学園は、黒森峰を相手に主人公ムカデさんチームと共闘することとなる。戦闘序盤でアスパラガスは友軍の撤退を支援するために殿を務め、呆気なく撃破されてしまうのだが、彼女は被弾の間際に「母校万歳」と叫ぶ。この台詞は自由派生徒のみならずBC派の心にも響き、互いに反目を忘れて仏国歌・ラマルセイエーズを歌うという描写が入る。さすがのおじさんもドンビキ満足の名シーン。カサブランカも何のその。

 

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さて。詳細な戦闘経過は省くが、その後、民家への放火と囮による欺瞞作戦を受けた黒森峰は、自由BC学園・ムカデさんチーム連合部隊の包囲を企図して別働隊を組織する。エリカ率いる本隊はムカデ等の撃破に成功。しかし、その一方で別働隊は、今まで息を潜めていたボルドー率いるBC派・自由派混成部隊の第五共和制小隊」によって殲滅されていた。3輌のM22ローカストで構成された「第五共和制小隊」は、残存するエリカ車以下黒森峰2輌に突撃。見事勝利を勝ち取るという筋立てである。

まずこの展開が面白い。自由派であるアスパラガスの犠牲を経て、BC派のボルドーが勝利を決定付ける。この構造は、所属は逆であるが「ペタンは盾であり、ドゴールは剣であった」というヴィシー(ペタン)擁護派が歴史的に語っていた言葉と重なる。つまりここでは「アスパラガスは盾であり、ボルドーは剣であった」になるだろう。*1

また作中で度々登場する、自由派・BC派間の和解を示唆する場面にも注目したい。4巻の「結婚」作戦*2と戦場視察における描写*3で、その要素が読者に示されている。5巻ではアスパラガスが被撃破時に叫んだ「自由BC学園万歳」の台詞と国歌斉唱の場面が、まさに和解を象徴していると言えるだろう。

あくまで私的な妄想に過ぎないが、2巻における敗戦によって自由派・BC派間の和解が始まり、そして5巻におけるアスパラガスの犠牲で和解が完了したといえるのではないだろうか。この和解という単語は、仏近現代史を眺める上でも度々登場する。第二次大戦中、フランスは休戦を受け入れたヴィシー派と継戦を選択した自由派に分断されてしまい、戦後もこの問題を抱え込むことになった。ようやく祖国は一つになったが、国民は未だに統合されていないという状況が生まれたのである。この問題を解決するべく、終戦からまもなくして言論界から国民間の和解を求める声が上がった。段々とこの和解希求が高まりをむかえるにつれ、戦犯として処されていたヴィシー派の人々が早期釈放されるという結果に繋がっていく。こうした史実を頭の隅に置きながら5巻を読むと、自由派・BC派の統一を体現している第五共和制小隊」が、ドイツを連想させる黒森峰を打倒するという構造は、まさに〝和解〟を象徴するシーンの様に思われた。いや、恐らく絶対そんなことはないし、考え過ぎだろうけれど。きもちのわるいヲタクの典型みたいな所業をしてしまった。

 

いろいろと申し上げたが、世間はボル×アス推しですが、私個人としてはアス×ボルの掛け合わせこそ最高という話でありました。

*1:引っ張り出しておきながら恐縮だが、この「剣と盾」理論(Théorie du glaive et du bouclier)は現在史学の場では一般的に否定されている。要するにナチの搾取に対して、ヴィシー政権が盾の役割を果たしたどころか、時期によっては寧ろ対独協力を率先していたという事実がアメリカの研究者によって明らかにされたためだ。尤も学会の常識は世間の非常識という話は、フランスでも同じらしく、未だに高齢者を中心に「剣と盾」理論を信じている層も少なくないらしい。

*2:自由派・BC派部隊間の連携強化、並び「第五共和制小隊」の新規編成を目的とする

*3:ボルドーを肩車しようとするアスパラガスという萌えシーン。アスパラガス嬢曰く「政治的判断」とのこと

日本海軍の基礎を作ったのは

フランス関係

オレンジペコ日本海軍の基礎を作ったのは、どこの国か御存じかしら?(似非ジョンブル)

 

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先日、日仏交流史・外交史を長年研究している仏人と話す機会を得た。

 

以下、会話抜粋

 

日本海軍の基礎を作ったのは、どの国か知っていますか」

「イギリスでは」

「(やれやれという顔付きで)違います。横須賀海軍工廠建造の指導した人物を御存知ですね。そう、レオンス・ヴェルニーです。エミール・ヴェルタンはご存知ですか」

「はぁ、名前だけは」

ヴェルタンは日本海軍に2つの足跡を残しました。先ず黄海海戦の勝利に繋がる日本海軍艦艇群の設計と建造です。彼はジューヌ・エコールの支持者であり、大型艦艇を時代遅れと見做し、強力な武装の小型艦艇の量産を主張しました。海戦の後、伊藤サン(伊藤祐亨のことであろう)がヴェルタンに感謝の意を伝えていたのは有名ですね」

「(#有名ではないと思う)」

「そして何より、ヴェルタンの功績は日本海軍の重要な根拠地を策定したことにあります。彼は佐世保と呉に海軍工廠を築きました。横須賀は太平洋、佐世保東シナ海、呉は瀬戸内海。日本の国防事情を配慮した配置であることは一目瞭然です」

 

また

 

「日本空軍(ママ)の基礎も、フランスが作ったことをご存知ですか」

「それは知りませんでした」

「徳川大尉の飛行は1910年ですが、1918年に空軍士官を中心とした軍事顧問団が派遣されます。これは西園寺公望が友人であるジョルジュ・クレマンソーに依頼したことがきっかけで実現しました。クレマンソーは一次大戦に日本が参戦してくれた恩返しとして、軍事顧問団の派遣を無償で応じたのですね」

「余談ですが、西園寺は留学時代に下宿先が同じだったことでクレマンソーと仲良くなります。その二人が後に国家の最高指導者になったというのは、奇遇という他ありません」

「さてヴェルサイユ会議の場で、クレマンソーと西園寺は再び顔を合わせます。西園寺は牧野サン(牧野伸顕)に交渉を任せ、時折会議から抜け出すクレマンソーと遊ぶことを楽しみにしていた様です。」

 

等など。

正直発言には怪しい所も多い。

20年ぶりに渡仏した西園寺は、フランス語を話すことが出来なかったという話がある。

また軍の基礎を作ったという話は、人か物か云々、着目点によって大いに評価が異なる話であろう。分かっている。分かっているけれど、おじさんは文句を言わなかった。

そりゃあ気概のあるヲタクならば指摘したかもしれない。

 

しかしこの老研究者はレジオンドヌール受章者である。

Le Mondeに「この分野の泰斗」と絶賛されている人物である。

 

無理です。権威には積極的におもねっていく所存です。

 

ということでまた何か話を伺う機会があれば記したいと思う。

なお当人は日本語が上手ではないので、ブログの文はかなり意訳している。

 

ごめんね。でも出来る限り伝えたいであろうことを表現したから許してね。

そりゃあ仏語で聞けば良いのだろうけれど、仏語でまくし立てられても分からないもの……

[廃兵院(L'hôtel des Invalides)]フランス・ミリタリー旅行記

旅行

 時は17世紀、職を失った傷痍兵の存在はフランス社会を不安定にする一因であった。そこでルイ14世は傷痍兵を収容する施設、「廃兵院(L'hôtel des Invalides)」の建造を命じる。35年もの年月を経て、1706年にようやく廃兵院は完成し、今に至るまで多くの傷痍兵を収容してきた。

 

 尤も現在の廃兵院は、病院としての性格は薄れている。その敷地の大半は軍事博物館として開かれており、優れた立地的にも展示施設の充実ぶりからも、ミリタリー趣味者必見の名所といえるかもしれない。地下鉄Invalides駅に降りれば、黄金のドームはすぐに目につくはずである。

 

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 正面広場にはフランス式大砲コレクションが展示されており、広場を囲う様に各時代毎の展示室が配置されている。チケット売り場では有料で音声案内(日本語あり)を借りることが出来るが、なにぶん展示量が凄まじい。とてもではないが解説に耳を傾けつつ、全ての展示を回るのは不可能だろう。各部門毎の展示が地方博物館まるごと1つのレベルなのだ。そんなわけで虚弱な自分は、第一次・第二次大戦部門と近代部門、ならび新たに開設されたレジスタンス記念館を回るので精一杯であった。

 

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(中央広場)

  第一次・第二次大戦部門の部屋は著名将軍の名前が割り当てられており、例えばSalle FochやSalle Lattreといった具合である。Salleはフランス語で言うところの「間」らしいので、「フォッシュの間」や「ラトルの間」ぐらいの認識で良いのではないだろうか。

 大戦部門の各所は軍服・軍帽、銃・火砲、戦争絵画に現物車輌やらが辺り一面を覆い尽くしており、その光景は圧巻の一言に尽きる。なおほとんどの展示物には英語の注釈があるので、仏語に弱い人間にも優しい。

 展示物の中でもパリから前線まで兵士を送り届けたことで有名なマルヌ・タクシーや、ジョッフル、ペタン、フォッシュの三元帥が着用した礼服、ドゴールがBBCで用いたラジオマイクには目を奪われた。

 

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 順路に従って博物館の区画を抜ければ、ドーム教会の正面に出る。ドーム教会中央にはナポレオン1世が眠り、その周囲にはナポレオンの親族やフォッシュ将軍等の著名な軍人の棺が横たわっている。軍事博物館のチケットで入場可能なので、博物館と併せて忘れずに訪れたい。

 ところでこのアンヴァリッド寺院、第二次大戦中に破壊の危機に瀕したことがある。「パリは燃えているか」で有名な1944年のヒトラーパリ破壊命令には、この寺院も爆破対象に含まれていたのである。通説通りノルドリンク大使の努力が実ったためであろうか、それとも単にコルティツ将軍が保身を図ったためだっただろうか、幸いにも市内に設置された2トンもの爆薬が起爆されることはなく、このアンヴァリッドも無事生き延びることとなった。

   1940年にはナポレオン信奉者であったヒトラー自身が、ナポレオン2世の遺骸をアンヴァリッド寺院の地下聖堂に移送する様命じていた一件と本件を考え併せると妙な心境に至る。ナポレオン2世も父と再開させてくれた恩人の手で、木っ端微塵にされかけたと黄泉で微妙な顔を浮かべているに違いないが。

 

次回はユー島を取り上げます。
大西洋を渡り、フィリップ・ペタンの墓と現地の歴史博物館を訪れました。

 

※ドーム教会の脇には、観光客進入禁止の看板がある区画がある。これは現役の「廃兵院」であり、現在もなお傷痍兵を収容している。余談であるが、区画内で車椅子の老人がナースに運ばれている光景を見掛けた際に、かのモーリス・ガムラン将軍がここで死去したことを思い出した。ガムランレジオンドヌール勲章最高位のグランクロワを受章しながらも(グランクロワ受章者は慣例として国葬で送られていた)、1940年の敗戦の責任者であるが故に政府から国葬を拒否されるという悲劇的な逸話がある。もし大戦の事情が違えば、ドーム教会に彼の棺も並んでいたのかもしれない。

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