廃兵院工房

旅行の思い出とか呟きます。昼からビールを飲める仕事につきたい

[ユー島(Île d'Yeu)]フランス・ミリタリー旅行記

第一次大戦における救国の英雄であり、第二次大戦における売国奴でもある、アンリ・フィリップ・ペタン。そんな彼の墓は、大西洋上の小さな島、ユー島にある。

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島への到達手段は2つある。フェリーかヘリだが、一般的な観光客は皆前者を選ぶだろう。船賃は往復で30ユーロ程だったと記憶している。パリから随分と離れた為だろうか。ユー島への観光客は白人ばかりだった。

島北側の港、ポール・ジョワンヴィル(Port Joinville)へ上陸。ホテルに荷物を預け、WIFIを通じて島内の墓地を確認する。幸いにしてペタンの墓があるジョワンヴィル墓地(Cimetiere de Port Joinville)は、ホテルから近かった。徒歩でテクテクと向かう。島内の建物はどれも白で塗りつぶされている。観光案内によると、家々は統一的な外見を保つよう定められているらしい。

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墓地に着くと、墓守の老人に声を掛けられる。

「おい、ペタンか」

「そう、元帥を探している」

「ペタンはあっちだよ」

恐らく観光客がペタンの墓を詣でるのは珍しくないのだろうなぁと感じつつ、墓守に礼を言う。ペタンの墓は、植木で覆われる様にして配置されていた。比較的新しく花がそえられていた様で、墓石も状態が良い。昔、多摩霊園に山本五十六の墓を覗きに行ったことがあるが、山本の隣にあった古賀峯一の墓は相当に荒んでいたと記憶している。他の偉人達に比べて、ペタンは良い待遇を受けている方だろう。

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ユー島住民にとって、ペタンの存在は長年面倒以外の何物でもなかったはずだ。ADMPなどの極右連中が参詣を目的に毎年島へ押し寄せていたし、それに反発するユダヤ人の一団がデモを実施した時期もあった。幸か不幸か、年々と名誉回復運動の勢いは衰えつつある。運動を支えていた老人連中から若者達への代替わりに伴い、その規模も縮小化している様だ。彼等が運営していたHPも、最近ドメインが切れていることを確認した。極右ウォッチャーとしては寂しい限り。

さて。この島には、ペタンの墓以外にも見所はある。暫し一人で海水浴を楽しみ、翌日ピエール・ルヴェ要塞(Le Fort de Pierre Levée)に向かう。ペタンは存命中、この要塞に収監されていた。読書や散歩を楽しんでいた様子が、写真に残されている。残念ながら、観光対象としては展示物が少ないのでお薦めし辛い。期待していたペタンの居住区は現在封鎖されており、観光関係者の寝泊まりの場になっている様子であった。どうせなら公開して貰いたいもの。 

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島北部の市街地に戻る。目当ての大半は行き尽くしたものの、一つだけ心残りの場所があった。その名は「ユー島歴史博物館」。かねがねウォッチしていた極右連中が、ユー島探訪時にペタンの蝋人形やらペタンの遺品が収蔵された部屋の写真をアップしていたのだが、この時点では未だにその場所が掴めていなかった。要塞跡にもそういう展示施設はなかったので、残るはこの「ユー島歴史博物館」しか思い当るところがないのだが、一向に戸が開く様子がない。埒が明かず観光案内所の女性に尋ねても、苦虫を噛み潰した様な表情で「歴史博物館は市が関与しているものではないから難しいですね……魚類博物館のスタッフに連絡すると開くかもしれないですよ」と謎の返答である。言われるがままに魚類博物館へ足を運ぶと、そこも閉館されている始末。諦めて本土に帰ろうかと途方に暮れていると、魚類博物館から一人の老婦人が現れた。これ幸いと拙いフランス語で事情を説明すると、「付いてきなさい」との力強い返事。紆余曲折あり、ようやく歴史博物館の戸が開いた瞬間であった。 

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「ユー島歴史博物館」の中身は、想像以上のものであった。まず初めにユー島に人類が到達した経緯を示す展示があり―――それを越えると、すぐさま凛々しいペタンの蝋人形が出現する。さらに部屋を抜けると、件の極右連中が撮影していた遺品展示室に到着した。室内スピーカーからは、男性のたどたどしい演説が繰り返し流れされている。演説の内容は、ペタンはドゴールと共にフランスを救ったのだという典型的な擁護論のそれであった。演説者は恐らくADMPの関係者だろう。なにせ遺品展示室の片隅で、破損した「ADMP」のネームプレートを発見したのである。この歴史博物館自体、かつて彼等の根拠地であったに違いない。

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その正体が眉を潜めるものであったにしても、展示物自体はウォッチャー泣かせの貴重な数々であった。ペタンが死去して半世紀以上経つが、遺品展示室は時が止まっているかのような印象を受ける。今回の旅行を通して、二番目に胸が高鳴った瞬間であった。もしユー島を訪れる方がいらっしゃれば、ぜひ「ユー島歴史博物館」の来訪をお薦めしたい。運さえ良ければ、きっと開いているはずだろうから。

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