廃兵院工房

旅行の思い出とか呟きます。昼からビールを飲める仕事につきたい

[廃兵院(L'hôtel des Invalides)]フランス・ミリタリー旅行記

 時は17世紀、職を失った傷痍兵の存在はフランス社会を不安定にする一因であった。そこでルイ14世は傷痍兵を収容する施設、「廃兵院(L'hôtel des Invalides)」の建造を命じる。35年もの年月を経て、1706年にようやく廃兵院は完成し、今に至るまで多くの傷痍兵を収容してきた。

 

 尤も現在の廃兵院は、病院としての性格は薄れている。その敷地の大半は軍事博物館として開かれており、優れた立地的にも展示施設の充実ぶりからも、ミリタリー趣味者必見の名所といえるかもしれない。地下鉄Invalides駅に降りれば、黄金のドームはすぐに目につくはずである。

 

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 正面広場にはフランス式大砲コレクションが展示されており、広場を囲う様に各時代毎の展示室が配置されている。チケット売り場では有料で音声案内(日本語あり)を借りることが出来るが、なにぶん展示量が凄まじい。とてもではないが解説に耳を傾けつつ、全ての展示を回るのは不可能だろう。各部門毎の展示が地方博物館まるごと1つのレベルなのだ。そんなわけで虚弱な自分は、第一次・第二次大戦部門と近代部門、ならび新たに開設されたレジスタンス記念館を回るので精一杯であった。

 

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(中央広場)

  第一次・第二次大戦部門の部屋は著名将軍の名前が割り当てられており、例えばSalle FochやSalle Lattreといった具合である。Salleはフランス語で言うところの「間」らしいので、「フォッシュの間」や「ラトルの間」ぐらいの認識で良いのではないだろうか。

 大戦部門の各所は軍服・軍帽、銃・火砲、戦争絵画に現物車輌やらが辺り一面を覆い尽くしており、その光景は圧巻の一言に尽きる。なおほとんどの展示物には英語の注釈があるので、仏語に弱い人間にも優しい。

 展示物の中でもパリから前線まで兵士を送り届けたことで有名なマルヌ・タクシーや、ジョッフル、ペタン、フォッシュの三元帥が着用した礼服、ドゴールがBBCで用いたラジオマイクには目を奪われた。

 

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 順路に従って博物館の区画を抜ければ、ドーム教会の正面に出る。ドーム教会中央にはナポレオン1世が眠り、その周囲にはナポレオンの親族やフォッシュ将軍等の著名な軍人の棺が横たわっている。軍事博物館のチケットで入場可能なので、博物館と併せて忘れずに訪れたい。

 ところでこのアンヴァリッド寺院、第二次大戦中に破壊の危機に瀕したことがある。「パリは燃えているか」で有名な1944年のヒトラーパリ破壊命令には、この寺院も爆破対象に含まれていたのである。通説通りノルドリンク大使の努力が実ったためであろうか、それとも単にコルティツ将軍が保身を図ったためだっただろうか、幸いにも市内に設置された2トンもの爆薬が起爆されることはなく、このアンヴァリッドも無事生き延びることとなった。

   1940年にはナポレオン信奉者であったヒトラー自身が、ナポレオン2世の遺骸をアンヴァリッド寺院の地下聖堂に移送する様命じていた一件と本件を考え併せると妙な心境に至る。ナポレオン2世も父と再開させてくれた恩人の手で、木っ端微塵にされかけたと黄泉で微妙な顔を浮かべているに違いないが。

 

次回はユー島を取り上げます。
大西洋を渡り、フィリップ・ペタンの墓と現地の歴史博物館を訪れました。

 

※ドーム教会の脇には、観光客進入禁止の看板がある区画がある。これは現役の「廃兵院」であり、現在もなお傷痍兵を収容している。余談であるが、区画内で車椅子の老人がナースに運ばれている光景を見掛けた際に、かのモーリス・ガムラン将軍がここで死去したことを思い出した。ガムランレジオンドヌール勲章最高位のグランクロワを受章しながらも(グランクロワ受章者は慣例として国葬で送られていた)、1940年の敗戦の責任者であるが故に政府から国葬を拒否されるという悲劇的な逸話がある。もし大戦の事情が違えば、ドーム教会に彼の棺も並んでいたのかもしれない。

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