廃兵院工房

旅行の思い出とか呟きます。昼からビールを飲める仕事につきたい

日本海軍の基礎を作ったのは

オレンジペコ日本海軍の基礎を作ったのは、どこの国か御存じかしら?(似非ジョンブル)

 

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先日、日仏交流史・外交史を長年研究している仏人と話す機会を得た。

 

以下、会話抜粋

 

日本海軍の基礎を作ったのは、どの国か知っていますか」

「イギリスでは」

「(やれやれという顔付きで)違います。横須賀海軍工廠建造の指導した人物を御存知ですね。そう、レオンス・ヴェルニーです。エミール・ヴェルタンはご存知ですか」

「はぁ、名前だけは」

ヴェルタンは日本海軍に2つの足跡を残しました。先ず黄海海戦の勝利に繋がる日本海軍艦艇群の設計と建造です。彼はジューヌ・エコールの支持者であり、大型艦艇を時代遅れと見做し、強力な武装の小型艦艇の量産を主張しました。海戦の後、伊藤サン(伊藤祐亨のことであろう)がヴェルタンに感謝の意を伝えていたのは有名ですね」

「(#有名ではないと思う)」

「そして何より、ヴェルタンの功績は日本海軍の重要な根拠地を策定したことにあります。彼は佐世保と呉に海軍工廠を築きました。横須賀は太平洋、佐世保東シナ海、呉は瀬戸内海。日本の国防事情を配慮した配置であることは一目瞭然です」

 

また

 

「日本空軍(ママ)の基礎も、フランスが作ったことをご存知ですか」

「それは知りませんでした」

「徳川大尉の飛行は1910年ですが、1918年に空軍士官を中心とした軍事顧問団が派遣されます。これは西園寺公望が友人であるジョルジュ・クレマンソーに依頼したことがきっかけで実現しました。クレマンソーは一次大戦に日本が参戦してくれた恩返しとして、軍事顧問団の派遣を無償で応じたのですね」

「余談ですが、西園寺は留学時代に下宿先が同じだったことでクレマンソーと仲良くなります。その二人が後に国家の最高指導者になったというのは、奇遇という他ありません」

「さてヴェルサイユ会議の場で、クレマンソーと西園寺は再び顔を合わせます。西園寺は牧野サン(牧野伸顕)に交渉を任せ、時折会議から抜け出すクレマンソーと遊ぶことを楽しみにしていた様です。」

 

等など。

正直発言には怪しい所も多い。

20年ぶりに渡仏した西園寺は、フランス語を話すことが出来なかったという話がある。

また軍の基礎を作ったという話は、人か物か云々、着目点によって大いに評価が異なる話であろう。分かっている。分かっているけれど、おじさんは文句を言わなかった。

そりゃあ気概のあるヲタクならば指摘したかもしれない。

 

しかしこの老研究者はレジオンドヌール受章者である。

Le Mondeに「この分野の泰斗」と絶賛されている人物である。

 

無理です。権威には積極的におもねっていく所存です。

 

ということでまた何か話を伺う機会があれば記したいと思う。

なお当人は日本語が上手ではないので、ブログの文はかなり意訳している。

 

ごめんね。でも出来る限り伝えたいであろうことを表現したから許してね。

そりゃあ仏語で聞けば良いのだろうけれど、仏語でまくし立てられても分からないもの……